翻訳のクラウドソーシング・プラットフォーム「BUYMA Books」についての記事が、ダイヤモンド・オンラインに掲載されました
あなたは映画は吹き替え派ですか? 字幕派ですか?
自分は吹き替えは嫌です。声や喋り方の癖がぜんぜん違うからです。
先日、『ゴッドファーザー PARTII』をDVDで観ました。この作品の見所は、一作目でマーロン・ブランドが演じたゴッドファーザー、ドン・ヴィトー・コルレオーネの若き日をロバート・デニーロが演じていることです。デニーロはこの作品のためにイタリア語をマスターして作中で披露し、マーロン・ブランドのしゃがれ声さえも見事に模写しています。そうした味わいが、日本語吹き替えでどこまで再現できるかは大きな疑問です。
また、話はずれますが80年代初頭くらいの大昔のこと、松田聖子など当時のトップアイドルたちのヒット曲を無名の歌手たちが歌うカセットテープが売られていました。曲はもちろん原曲通りですが歌声が大違い。買ってしょぼーんだったことは今でも忘れられません。
これは翻訳にも通じることではないでしょうか? どんなに翻訳家が頑張ってもしょせんは他人で、しかも外国語。最初から大きなハンディキャップがあるのです。
しかし、ここで話は映画に戻りますが、山田康雄氏(1995年死去)によるクリント・イーストウッドの吹き替えなど、ある意味本人以上に役柄にぴったりで、原作プラスαの魅力を添えて作品世界を充実させる例もまたあります。
そして今、NHK連続テレビ小説『花子とアン』が人気です。村岡花子訳の『赤毛のアン』がここまで人気を集めたのも、同じような理由からでしょう。優れた翻訳家の日本語訳は、ときに原作プラスαの価値すら持ちうる。
ですがそれは、言うまでもなく花子の才能と努力のたまものです。翻訳は、訓練すれば誰にでもできる仕事とは違います。文意を正確に読む構文解析力、背景文化への知識、登場人物への共感、そして日本語での表現力と構成力。その四拍子が揃って初めて、日本語訳は売り物たりえます。
そうした事情から、出版翻訳家の養成は半ば芸道化され、有名翻訳家の弟子として長い下積みを積んでからデビューという流れができあがった。翻訳書の質という観点ではそれは優れたシステムですが、業界を自閉的な体質にしている面もあります。
小説などの一字一句の全訳なら優れた翻訳家にしかできないが、翻訳の需要はそれだけではない。原書が分厚すぎるので抄訳で出す場合や、原書の忠実な再現よりも日本人向けの紹介に重きを置いて再構成するケースもある。そんな場合、原文さえきちんと読めれば日本語表現は創作に近くなるので、従来の翻訳家以外の人材が活躍できる余地もあります。
といった流れでBUYMA Booksを取り上げ、MANGA REBORNも併せて紹介しました。タイトルや内容は例によって編集でだいぶ変わってしまいましたが。