鞭打苦行のThrasher

翻訳者/ライター/最底辺労働者、待兼音二郎のブログであります

篠田節子の小説『仮想儀礼』(上下巻、新潮社)

仮想儀礼〈上〉

仮想儀礼〈上〉

 こちらは東京都庁で働く主人公が出版社の口車にのせられて公務員の職をなげうち原稿用紙5000枚! のゲームブック『ゲグ王国の秘宝』を書き上げたものの、出版社の計画倒産によって本は出せず、妻にも逃げられて路頭に迷い、ならばいっそと、編集者と二人してゲームブックの設定を元にした新興宗教を立ち上げて金儲けを目論む、という設定の作品です。
 のっけからいきなりゲーム的ですし、その後の展開も口コミが口コミを呼んでの教団の拡大から、問題人物の登場、不測の事故の発生、マスコミや他教団の介入など、ランダムイベントのごとくに困難が定期的に襲いかかってきて、それをいかに乗り切るのかと、ページを繰る手が止まらなくなります。
 と、経営シミュレーション的な読みどころ満載の本作ですが、自分が一読して感心したのは、そこに人間実存の苦しみが描かれていることでした。
 主人公が作った教団は、もとよりゲームブック執筆の参考にしたチベット密教その他の教義を切り貼りしたコピペ的なものでしかないのですが、主人公の生来のまじめさと誠実さ、そして相方の元編集者がもつ底なしの優しさに惹かれてか、苦しみを抱えた女たちが、そして男たちが次々に教団の戸を叩き、熱心な信者となり、教団の拡大に大きな役割を果たします。そのあたりも、「若き木下藤吉郎とその家臣団」的に読むこともできるのですが、そうした立志伝中の人物たちとこの小説の信者たちが違うのは、彼らがみな、「宗教なしには生きていけない人たち」であることです。そうした男女がいだく教団への想いが、インチキな教団を本物の名に恥じないものに変え、やがては教祖の意志を超えて暴走させることにもなります。
 特に感心したのは、女性登場人物各人の個性や苦しみが本当に良く描けていることでした。これは作者が女性だからでもありますが、小説に出てくる女性というのは、類型的に、男にとって都合のよい女性像を重ねて描かれることが多かっただけに、大変読み応えがあり、ページを繰る手を止めることができませんでした。結果的に、上下巻をそれぞれ一晩、いずれも徹夜で読み切っていました。あんまり感動したので、登場人物についてのメモを書き留めていました。ネタバレにはならないと思うので、以下に列挙します。女性は名前を赤字にしました。

  • 山本広江:テレビ局部長の妻。夫と義母から家政婦のように扱われる日々に疲れ、精神的な拠り所を求める。
  • 徳岡雅子:父は大臣経験者の大物代議士。父と兄の性欲処理の道具にされる。
  • 伊藤真実(まみ):母のゆがんだ愛情が人形を対するものであることに耐えられなくなり、宗教に走る。前の教団でひどく扱われ、この教団に救いを見い出す。
  • サヤカ(本名雪子):青森の退屈な町から脱け出したい一心で、十代半ばで東京に出てきてIT社長にホテルで飼われる。体を提供することでしか人との関係を結べない。
  • 板倉木綿子:夫は浮気、娘は母親をうっとおしがるようになり、孤立感から抗鬱剤に頼るようになる。雅子と同じ女性支援団体に救いを求めるも、いい年をして女を売りにしようとする態度が反感を買い、精神的リンチを受ける。
  • 森田社長:公務員時代に汚職事件の罪を被せるために部下を自殺に見せかけて殺すように闇社会に依頼したことに自責の念を抱いている。
  • 井坂(芥川賞作家「萩尾敬」):本能的寄生者。金を取れそうな人物を嗅ぎ付けてすりよる。地下道で寝て、金が入れば一晩で使ってまた地下道に逆戻りするタイプ。ピチピチコギャル風で精神を病んだ妻と、アトピーで栄養失調気味の娘を連れて歩く。文学的天才と下劣な人格が同居。
  • 占い師、如月秋瞑:色々なものが見えすぎてしまう。
  • 竹内由宇太:高校で激しくいじめられ、密教やオカルトに逃げ込む。教団の穏健さが物足りなくなり、京都の過激な教団に加わる。
  • 祖父江:神戸の資産家。震災で家族を失う。神戸支部のために自宅敷地を提供。

 特に感心したのは板倉木綿子の描き方ですね。50歳前後になってもお人形さんのような可愛らしさをただよわせ、常に微笑をたたえている女、とくれば、男の作家ならありったけの願望を投影させて描きそうなところですが、その心の闇の深さが如実に描かれております。
 やっぱり小説家は人物が描けてナンボのものだな、と思いました。篠田節子、凄いです。