鞭打苦行のThrasher

翻訳者/ライター/最底辺労働者、待兼音二郎のブログであります

アゲインスト・ジェノサイド:ガンドックゼロ リプレイ

ウォーハンマーRPG翻訳チームでお世話になっている岡和田晃さん初の単著となるリプレイ本を拝読しました。

ガンドッグゼロ リプレイ アゲインスト・ジェノサイド (Role&Roll Books) (Role & RollBooks)

ガンドッグゼロ リプレイ アゲインスト・ジェノサイド (Role&Roll Books) (Role & RollBooks)

映画『フルメタル・ジャケット』の鬼教官の女版ともいうべき指揮官クインビーが読者に訓示を垂れる冒頭から引き込まれ、何度も打ちのめされながらページを繰るうちに読了していました。安田均さんが日本にTRPGを紹介し、定着させた功労者であるなら、岡和田晃さんはTRPGを文学と融合させた功労者として、後世、安田御大と並び称されるのではないかと自分は予想しています。『アゲインスト・ジェノサイド』、これは大変な意欲作です。

自分はゲームブックに出会ったとき、これこそが「二人称小説」*1なのだと思いました。「私」や「俺」が語る物語が一人称小説、「彼/彼女」を通じて作者が語るのが三人称小説であるとすれば、二人称小説とは、「君は〜をした」と作者が読者に語りかけるかたちで綴られる小説です。

小説の登場人物は良くも悪くも作者の操り人形なので、二人称で描くことには根本的に無理があります。「君は執事をあやしいと思い、注意して観察することにした」と書かれても、読者である『君』があやしいと思ったのは執事ではなく、殺された資産家の夫人かもしれません。「君」による意志決定が描かれるたびに、読者である『君』はしらけていくことになります。しかしゲームブックなら、読者は文中に提示される選択肢を選びとるかたちで物語に参加することができます。ゲームブックがパラグラフの組み合わせでできている以上、作者がつくりあげた迷路の中をぐるぐる回っているだけと言うこともできますが、戦闘のスリルとも相まって、手に汗握る没入感を味わうことができます。

そしてTRPGの自由度は、ゲームブックの比ではありません。脚本に登場人物と状況設定、達成目標、おおまかな幕の構成(三幕仕立て、など)が書いてあるだけの演劇のようなものです。冒険者パーティの各人を別々の人間が担当することから、各人の思惑が絡み合い、話がどう進むかは予断を許しません。敵であるはずの人物を味方に引き入れたり、予定されていた「幕」をひとつすっ飛ばして最終の幕に直行、なんてことも珍しくありません(予定されていない幕を即興でつくる、まではさすがに難しいですが)。

つまりTRPGは究極の即興劇、予定調和の対極にある物語だといえます。物語原作者兼監督であるゲームマスターと、主要登場人物のキャストであるプレイヤーたちが共同で作り上げていく物語なのです。

普通の小説の登場人物は作者の手駒ですから、いかようにでも都合よく動かすことができます。ところがTRPGではルパン、次元、五ェ門、不二子のそれぞれに担当プレイヤーがいるため(銭形警部はゲームマスターが動かすので作者の手駒だと言えますが)、金庫破りという大目標は動かないにしても、それをどう実行するのかはプレイヤーたちの協力と創意工夫次第です。さらに、戦闘をはじめとする各種判定がサイコロで解決されるので、常に奇跡的成功とよもやの大失敗の可能性がつきまといます。

本作『アゲインスト・ジェノサイド』でも、作戦遂行中によもやの大失敗が起こります。物語の展開上非常に都合が悪く、小説の作者なら決して書かないはずの事態です。しかし本作では登場人物たちがその事態を受け入れ、創意工夫によって損失を最小限に抑えて事態を展開させます。しかも、物語の後半で、その失敗を逆手にとって思いもよらない果実を得るのです。これぞTRPGの醍醐味であり、作者のやりたい放題の小説との最大の違いであります。

本作はTRPGのリプレイであり、実際のゲームプレイとはちがって読者は小説と同じように受け身一方で物語を読み進めるわけですが、あの事態が作者によって仕組まれたものではなく、ゲームだからこそ発生したものであり、登場人物たちの対応も、ゲームに参加しているプレイヤーならではであることが読んでいてわかります。「だからTRPGはただの小説とは違うんだ」*2という岡和田さんの声が聞こえてくる気がします(まあ【狂気点】による幻聴かもしれませんがw)。

冒険小説の枠組みをもちながらも、ただの小説とは違う。そのことを強く意識して書かれた『アゲインスト・ジェノサイド』は、ゲーム者であれ、非ゲーム者であれ、多くの方に読んでいただきたい作品です。

誉めるばかりでもなんですので、気がついた点をいくつか。

巻頭の導入文につづいて主要人物四人の自己紹介があります。四人各様にたいへん読ませる文章なのですが、大トロも四カン連続となると、三つ目くらいであきてきます。ここでの長々しいモノローグはせいぜい二人分くらいにして、残りふたりのモノローグはどこかのシーンの頭にもってきた方が効果的だった気がします。しかも、各人四頁ずつのモノローグのあとにイラスト入りのキャラクターシートがあるのですが、キャラシーは何度も参照するものなので、できれば四人分が連続ページであった方が検索性は高いと思います。

もうひとつ。一頁まるまるのイラストが随所にあるのですが、スクリーントーンの点々がずいぶん大きいので、もとは小さいイラストだったものを引き延ばしたという印象を受けます。そのため、なんだか安っぽく感じられて残念です。全編に上質感のただよう本ですので。

*1:Panzaさんの笙野頼子ばかりどっと読むで、この二人称小説論についてご紹介いただきました。ただ、わたしが二人称小説だと思うのは「読者VS本」の構図のゲームブックのことでして、TRPGリプレイはまた違うと思います……(汗)。

*2:これについてはいつも拝読しているブレーキをかけながらアクセルを踏み込むに、たいへん興味深い記述がありました。リプレイにおける心理描写の省略を埋め合わせるのがルールブックという常識、とのことです。蒙を啓かれました。