鞭打苦行のThrasher

翻訳者/ライター/最底辺労働者、待兼音二郎のブログであります

街角の白衣の聖女 【長文】

『救済の書』が発売になりました。ギリシャ多神教世界オールド・ワールドで信仰される九大神のあらまし・禁忌・教団機構といった公的な決まり事はもとより、民間信仰、暦と祝祭、下位神といった卑俗の裏話的な情報もふんだんにあり、聖職者の日常にもまるまる一章をあてて事細かに記されていて、鏡の向こうにあるヨーロッパ中世のにおいまで伝わってきそうな濃厚なサプリです。

救済の書:トゥーム・オヴ・サルヴェイション (ウォーハンマーRPG サプリメント) (ウォーハンマーRPGサプリメント)

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神々の位置づけも重層的で、至高のパンテオンをなす九大主流神の下に、領邦土着の地域神や異国(異種族)由来の傍流の神々が横並びに位置づけられ、さらにその下には神に準ずる存在として「聖者」がおかれています。

また、禁教として、暗黒の神々(混沌の四大至高神)以外にも九大主流神の異端派が紹介されており、まさしく「内なる敵」百花繚乱といった趣です。

さて今日は、治癒と慈悲の神シャリア教団の聖者ギゼラ・ザーウアーから浮かんだ妄想をご紹介します。*1

ギゼラ・ザーウアーはシャリアの敬虔な信者で、膿や腫れ物に覆われた患者に手当をほどこすことに身も心も捧げていました。ギゼラが属するシャリア教の一派には、穢れの接触を防ぐために決して服を脱いではならないという教えがあり、その戒律を守り抜いたことで彼女は悲劇的な死を迎えたのです。

この妄想ストーリーは、上記のほかに、癩者の膿を口で吸いだしたとされる光明皇后の逸話、そして昔新聞で読んだ目取真俊芥川賞作家)氏の短文をネタに、ごっちゃに混ぜてひねり出したものです。TRPGフレーバーテキストからの妄想作成例ととらえていただければ幸いです。

内容が『救済の書』記載のギゼラの逸話からだいぶ逸脱していますし、もとよりオフィシャルの設定とは何の関係もない妄想、【狂気点】の産物ですので、ひらにスルーをお願いいたします。しかもブログ記事としてはだいぶ長いですが(原稿用紙14枚ほど)……。

街角の白衣の聖女

 〈曲がり鼻〉亭の看板は、吊るし金具が壊れて今にも落ちそうになっていた。扉にはかんぬきをされず、すきま風が店内に吹き込んでいた。ぎいとその戸を押しあけてみたが、酒場には人っ子ひとりいない。テーブルにはジョッキが並び、椅子は引かれたり倒れたりしたまま、店じまいの片付けもされずに人々ばかりが消えてしまったかに思えた。
 なんという変わりようだろう。
 前にこの店を訪ねたのは夏のことだった。石畳の街路と運河にはさまれた居酒屋街。黒い水面にマンスリーブの白い月影が揺れ、対岸にかかる石橋を辻馬車が蹄音も軽やかに行きかい、どの酒場の窓も金色堂のようなまばゆい灯火に映えていた。
 わたしはこの店の運河にめんしたバルコニー席でティリア産のシャツの胸元をはだけ、店内の喧噪をちらちら見やりつつ、川風に涼んでいた。甘く香る百合の花束を女給のひとり、エプロンの似合う笑顔のかわいいエリカにいつ手渡そうかと……。
 それが、今日のこのザマだ。秋の収穫がすんで実りを満載した馬車が行きかう頃、流行病(はやりやまい)が街道沿いに伝わってきてこの街にも広まった。発病した者は膿み爛れたかさぶたに覆われ、高熱にうなされて死んでいった。領邦軍もシグマーの聖堂騎士団も混沌の襲来にそなえた戦力保全を名目に街から引き上げていき、警備隊もお偉方が逃げ出して組織の体をなさなくなり、悪疾のはびこる街は夜盗のたぐいのやりたい放題になっていた。しかしそれも過ぎたこと。密集した市街地では罹患率がことさら高く、人みな死に絶えたかのごとくとなっていた。
 このわたしも病に冒され、ふらふらと杖をついてここまで歩いてきた。片目はかさぶたで塞がったままで、もう片方の目だけを頼りに噂に導かれてやってきたのだ。
 この街で、疫病患者の治療をつづけるひとりの女がいるのだという。敬虔なシャリア信者で、総身を白衣につつみ、見捨てられた患者のかさぶたにじかに触れるのも厭わず、それどころか膿を根本まで搾るために、口をつけて吸いだすことさえするというのだ。女の名はギゼラ。病魔に冒され死を待つばかりの者たちの心にその名が福音のごとくに響きわたり、治療を待つ者たちが街角で列をなしているという。
 聖女ギゼラについて語られる噂のなかでひとつ不可解なのは、彼女が全身を白い布で隠していることだった。白い頭巾をすっぽりとかぶり、首にまで布をさらしのように巻いて、人目に触れるのは顔と手ばかりだというのだ。そうする理由は教派の戒律だとも、火傷の痕を隠すためだとも言われた。いずれにせよ、白衣のいでたちのおかげで姿が目だちやすいことは確かだった。
 わたしは片目をくわとひらいた。ギゼラの治療を待つ人の列が見つかったのだ。喜び勇んで杖をつきつき、道ばたで荷馬車につながれたまま朽ちた騾馬の死骸を追い越していく。これで自分も助かるやもしれぬ。
 列には十人ほどが並んでいただろうか。いずれも黙りこくり、目だけでぎょろぎょろと、ギゼラが治療に励むさまを見つめている。なかには、順番を待つあいだに死んでしまいそうなほど衰えた者もあった。石畳にへたり込み、列がすすんだのにも気づかないのか、後ろの者に杖でつつかれてようやく這ってすすむありさまだ。
 ギゼラは放棄された警備隊本部会館の壁ぎわに菰(こも)を敷き、わき目もふらずに治療にあたっていた。かさぶたに塗り薬をすりつけ、膿を針でつつき指でつまんで搾りだしていた。口で膿を吸いだすという噂は本当なのだろうか。いくらなんでもそこまではできまい。この病は同じ空気を吸っただけで感染すると言われているのだ。よもやそのようなことは。見つめるうちに胸が高鳴り、恥ずかしくてたまらなくなってきた。余計なことは考えるな。手当をしてもらえるだけでもありがたいことではないか。
 そのとき、ギゼラが患者の脇の下に顔を近づけた。まさか。まさか。ギゼラはそのまま患部に口をつけ、強く吸いだした。わたしは胸に熱いものがわき上がるのを感じた。片方だけひらいた眼にじわりと涙が浮かんだ。ギゼラの華奢な軆が後光に包まれているようにみえた。これは生き女神だ。
 ギゼラが患者から顔をあげた。額の汗をぬぐい、待ち人の列を目で数えている。彼女も疲れているのだろう。目に生気がなく、熱に浮かされたようになっていた。
 ギゼラの治療は丁寧で、ひとりひとりに時間をかける。待ち疲れてうとうとしたようだ。誰かに呼ばれたような気がして、わたしはふと我に返った。
「次の方、どうぞ」
 ギゼラの澄んだ声がする。自分の番が来ていたのだ。杖をついて進みでる。癒しへの期待と、醜い病躯をさらす恥ずかしさとで胸が高鳴る。ギゼラの手がわたしの破れ衣の襟元をくつろげ、肩にふれてきた。ああ、とうとうだ。
 それにしても不思議なのは、身体中を白い布で覆っていることだ。修道女のようなぴっちりした頭巾で生え際から顎までも隠し、人目にさらしているのは顔だけなのだ。白手袋さえはめて、指の関節から先だけをだしている。なにかのまじないか。だとしても面妖だった。
 わたしの片目のかさぶたを、ギゼラが塗り薬をつけた指でやさしくさすってくれた。そして彼女は適度な長さの針を選びとり、膿のひとつに近づけた。ああ、とうとうだ。わたしの膿を吸いだしてくれるのだろうか。ああ、ギゼラ。ギゼラ……。
「女、そこまでだ」
 何事かとふりむけば、つば広の帽子を目深にかぶった男が、マントの裾を風に翻して立っていた。男はつかつかと歩みより、竜の装飾のついたピストルを腰からぬいてギゼラにむけた。これは魔狩人、混沌に穢された魔女を探り回っては火刑台におくる秩序の番人だ。
 ギゼラは目をぱちくりさせていた。何の嫌疑があってのことなのか、飲み込めていないようすだった。それはわたしとて同じだ。後ろに並んだ者たちとて同じ気持ちだった。皆がみないっせいに、魔狩人を睨みつけていた。
 魔狩人はたじろぎもせず、口の端をつり上げた。列をなした病人らを冷たい目で一瞥し、やおら言い放った。
「おまえたちには判らぬのか。なぜ疫病がいつまでもこの街にはびこっておるのかを。わたしは街道を旅して回っている。ほかの街や村ではとうに病は盛りを過ぎておる。森や沼地に疎開していた住民がもどり、崩れた防壁が築き直され、日常の営みが再開されているのだ。なのにこの街だけは、このとおり瀕死の病人が引きも切らぬとはどういうことだ?」
 沈黙がただよった。気まずさが耐え難くなってきた頃、列からひとりの声があがった。
「だからギゼラさんがこうして頑張ってるんじゃないか。あんたらお上の連中がなんだ、病が広まったら尻尾をまいて逃げだしたじゃないか。今ごろになって、なにを邪魔しに来たんだよ!」
 魔狩人はピストルの銃口で帽子のつばを押し上げた。
「逃げただと? それは美食に肥えて武器もろくに持てぬようになったやつらのこと。一緒にするな! わたしはつねに第一線にある。混沌を狩る者の職務は、混沌に分け入らずしては全うできぬ。虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。二月前にこの街に来たとき、この女はこの場所で同じように治療をしていた。その時は感心な女だと思った。病から逃げずに身をとして患者を救おうとするその姿に、シグマーの秩序を守ろうとする己と同じものを感じた。だがそれとは異なる、なにやら異様な気配をもこの女はただよわせていたのだ。長年、混沌狩りをつづけてきた者としての直感と言おうか。そして案の定、調べてみるとこの女が病の元凶だった」
 列なす患者たちが拳をかためた。なんということだ。言うに事欠いてギゼラが悪者だと主張するのか。あまりといえばあまりなこじつけ。わたしは懐に手を差し入れ、投げナイフの柄をしかと握りしめた。片方だけの目で魔狩人と患者たちを鋭く見やる。一触即発の空気がただよっていた。今にも患者たちが魔狩人につかみかかりそうだった。
「騒ぐな、腰抜けども」魔狩人が一喝した。「話をきけ。わたしはこの女を観察した。朝ここへ来て日が暮れて立ち去るまで目を注ぎ、どこで寝起きしどんな連中と付き合っているのかも跡をつけて確かめた。何もやましいことはなかった。だが、それでもあの異様な気配は否定しがたい。この女には必ずなにかある。そのうちに気づいたのは、こやつがいつでもこの白布で全身を隠していることだった。あれは禍月モールスリーブの満月の夜のこと。緑色の濁った光を総身に浴びたこの女から、なにかただよい出るようなものをわたしは見たのだ」
 ギゼラの口がわなないていた。言葉を失いながらも、怒りをつのらせていく。
「おまえたち、わからぬのか? この女が毎日なにをしてきたのかを。患者の膿みを針でつき、口で吸い出しさえしてきたではないか。それで患者の身体から病魔を抜き去ろうとしたのか? その志はあっぱれかもしれぬ。だが、もしもその逆だとしたらどうなる? この女が身体に病をためこんでいて。それを患者たちにうつしていたのだとしたら?」
 患者の列に動揺が広がり、すぐにそれがひとつの怒りへとまとまっていった。ギゼラはとうとう立ち上がり、眉根をよせて、魔狩人に指をつきつけた。
「あんまりです。せっかくこうして病気のみなさんのために命を捧げているというのに。手当が終わると皆さんおっしゃるのですよ。おかげで楽になった、ありがとうと。それがわたしの喜びなのです。シャリアに仕える者の使命なのです。それをあなたは、何の証拠があってわたしに罪を着せるのですか」
 賛同の声がいっせいあがった。何人かの者が路上に唾を吐く。患者の心はひとつになっていた。力ずくで召し捕ろうというのなら、われわれがギゼラの壁になるだろう。わたしはナイフの柄をさらに強く握った。
 魔狩人は冷笑した。いったん目を閉じ、眼光鋭くわたしを睨みつけてきた。
「そこの者、この女の服をはぎ取れ。見ればわかる。さあ、やらぬか」
 腸が煮えたぎった。させるものか。すばやくナイフをぬいて腕を引き、勢いをつけて投げつけようと――。
 銃声があがり、気づけば胸を撃ち抜かれていた。ナイフが手からこぼれ、石畳に乾いた音をたてた。
 いつのまにか魔狩人の手の者がわれわれを囲んでいた。魔狩人が顎をしゃくると、頭のはげ上がった肥満体の男が太い腕でギゼラを背後から羽交い締めにした。
 それだけは……わたしは仰向けに倒れたまま天を睨んだ。シグマーよ、こんな非道を許されるのか。なんの正義か、なんの公正か。これでは死んでも死にきれぬぞ。
 どよめきが走った。拷問人の毛むくじゃらの腕でギゼラの服が肩脱ぎにされ、白い肌と乳房があらわになった。そこにあるものを目にした全員があんぐり口をあけ、言葉を失った。
 イソギンチャクのような触手のついた腫れ物がびっしりと肌をおおい、ぱくぱくと開閉しては茸の胞子のようなものを吐き出していた。その開口部に群がっていた蛾のような生物が、玉虫色の鱗粉のついた羽をはためかせ、長い尾の先端のトゲをくねらせて飛び立ったのだ。脇腹はすっかり膿みくずれていた。諸肌脱ぎにされたギゼラの躯は病気の博覧会のようだった。
「ああ」とギゼラが泣き崩れた。「まさか、こんなことになっていたなんて」
「おまえの盲信のなせるわざだ」魔狩人が言った。「おまえはシャリア教の分派の教えを守り、穢れを運ぶ外気に肌をさらさぬよう、けっして白衣を脱がぬという誓いをたてた。だがその裏側で、おまえの躯は蝕まれていたのだ。おのれの使命を信じ込み、気が張っていれば気づかなかったのだろう。それがいま明らかとなったのだ。ギュンター、ハンス、こやつを引ったてい。浄化の炎で楽にさせてやる」
 わたしは遠のいていく意識の底でそれを聞いていた。なんということだ。なんということだ……。

*1:ありがたいことに、Thornさんがこの妄想ストーリーを、スケイブン・セッションのシナリオ・フックに取り入れてくださったそうです。