鞭打苦行のThrasher

翻訳者/ライター/最底辺労働者、待兼音二郎のブログであります

「即身仏から精神集合データへ――SFにみる近未来の死生観」という拙文が、トーキングヘッズ叢書 No.69に掲載されています

トーキングヘッズ叢書 No.69は2017年1月末発売。このほどようやく読了できたので、掲載報告をば。

そのTH叢書 No.69の特集は「死相の系譜 いま想う、死と我々の未来」。過去にもTH No.38「愛しきシカバネ」、TH No.39「カタストロフィー 〜セカイの終わりのワンダーランド」、TH No.53「理想郷と地獄の空想学〜涅槃幻想の彼方へ」など類似の特集がありましたが、おそらくそれらの号よりもより直截的に、死そのものに向き合った特集号です(バックナンバーは未読なので断言はできません)。

今号でまず何より目を引くのが、死体カメラマン釣崎清隆氏×現代美術家・笹山直規氏による「メキシコ死体合宿 死体を探し続けた1カ月間」です。交通事故や殺人事件の現場にいち早く駆け付けて、警察の規制線や泣きわめく遺族をかいくぐって死体を撮影する現地ジャーナリストたちに混じって同じことを試みるという刺激的な長期滞在企画で、スリルと興奮、そして疲労感までが行間から伝わってくるロードムービーさながらのドライブ感あふれるレポートです。

DeNAが自社メディアで盗用記事の大量生産を組織的に行わせていた(そしてクラウドソーシング各社が盗用実行者集めを一手に担っていた)例の一件から図らずも浮かび上がったのは、書き手が現地に足を運んで人から話を聞き、空気を肌で感じて書き上げた記事の唯一無二さと、情報としてのその価値の高さでした。その観点からも、現場で犯罪組織に捕まって見せしめに断頭殺害されかねない危険に身をさらして足で稼いだこのレポートのすばらしさが実感されます。これはぜひお読みいただきたい。

さらにこのレポート以外にも、死や死者にまつわる書き手の実体験が色濃く投影された記事が並んでいることが、TH叢書の今号の特徴です。浦野玲子「逝くまで待って、フォーエバー」、市川純「ショーペンハウアーの『自殺について』と私」、高槻真樹「ボルタンスキー巡礼」、本橋牛乳「ぼくたちはずっと綱渡りをしている」、友成純一「?自然?な死を求める」など、追想、取材記などと体裁はそれぞれに違えど、個々の書き手によって咀嚼され身体化された死想記の数々はいずれもまさしく唯一無二で、意外性にも満ちていて、たいへん読み応えがあります。

しかしもちろん、それ以外の主として書物を典拠にした記事の価値が低いなどということはまったくなく、前号から始まった連載である樋口ヒロユキ「書物の百物語《二》世界妖怪図鑑」や、梟木「死想サヴァイヴ」など、知的好奇心を刺激される記事が並んでいます。

自分は、「即身仏から精神集合データへ――SFにみる近未来の死生観」という一文を寄稿しました。即身仏の霊魂と、SFにおける精神データ化の類似性をひとつの切り口にした記事です。

また、岡和田晃さんによる着眼の鋭さが光る連載「ロック・ミュージックとRPG文化」(4)も掲載されています。そして書評コーナーもいつものように充実しているのですが、今回は田島淳さんの『ザ・パシフィック』のレビューが、自分の追っているテーマということもあり、特に心に残りました。これはぜひ借りて観なければ。