鞭打苦行のThrasher

翻訳者/ライター/最底辺労働者、待兼音二郎のブログであります

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その6】

その6です。変な化け物が出てきました。



 彼女は手ぶりで全員に下がるように指示し、まずは念入りに罠を探した。そして、扉への上がり段にはめ込まれていたブロックを見つけて取り外すや、ぱっと飛び退いた。
 一瞬後、碇のかたちをした巨大な刃物が天井から降りてきて、大扉のまえの空間を振り子のように往復しだした。うっかりそこに立っていたなら、身体が二枚に下ろされてはらりと前後に倒れていただろう。
 安堵の息をついて立ち上がった一行を、マルタが手で制した。
「罠を解いたときがいちばん危ない。あたしが敵ならもうひとつ罠をしかけるね」
 そのまましばらく待っていると、天井から鋭利な槍が数本落ちてきて、大扉のまえの石段に突きささった。
 フーゴーは息を呑み、背筋をふるわせた。やがて、マルタが罠の起動装置を解除して石段を昇り、大扉の鍵穴に解錠道具を差しいれた。
 金属と金属がこすれ合う音だけが、廊下の静寂のなかで聞こえてきた。
 マルタが後ろをふり返り、クラウスを手招きした。ふたりがかりであれこれと試すうちに、カチリ、と機構がかみ合う音がした。
 ちょうつがいを軋らせて大扉がひらいた。
 百の燭光にまばゆく照らされた大理石の床の大広間があらわれるかと思いきや、意外にも、扉のむこうには別の通路がつづいていた。
 通路はひっそりとして人の気配もなかった。武器をぬき、警戒しながらすすむうちに、通路の先から腐臭がただよってきた。いや、腐臭だけではない。猛烈な獣臭さがそれに混じり、息を吸うだけで目眩がした。
 通路の先に立ちはだかったのは、アーチ天井に届かんばかりに背の高い人間型生物だ。そいつは類人猿のように全身毛むくじゃらで、片腕の先が巨大な鉈になっていた。頭部は、ネズミの鼻先が象アザラシのようにぶくぶくと肥大して垂れているおかしなものだった。片方の目がつぶれて白く濁り、もう片方の目は、どうしたことか人間のものを思わせた。そいつが鉈になった腕をふるって近づいてくる。肩の盛り上がった屈強な上半身に似合わずにどうしたことか二本の脚はひょろひょろと長く、歩みがどこかぎこちなかった。
 そのため、酔っぱらいの千鳥足のような上体をゆらす歩き方になった。顎の下でとめる革製のヘッドギアをはめ、僧侶が着用する袈裟のような鱗状鎧(スケイル・メイル)を片方の肩に引っかけた姿からも、ネズミの破戒僧と呼びたくなるありさまだった。
 そいつが左右の壁に肩をぶつけながら近づいてくる。一行は身構え、武器を握って待ち受けた。
「ゾンビの一種だろうか」紫水晶の魔術師(アメジスト・ウィザード)イェーケンがつぶやいた。
「臭いからはそれくさい。だが、確かめてみないとなんともいえんな」
 モールの上級司祭ハイドリヒはそう答えると呪文を口ずさみ、片手をさし上げてふり動かした。みるみるその手に生命の気がみなぎり、虫の羽音のような共振音をたてた。
 ハイドリヒは鉈をかわして化け物の足もとに飛びこみ、空色をおびた手をそいつの膝の内側に叩きつけた。
 そいつがアンデッドであれば、膝から生命の気が猛毒のように全身にまわり、ひどい怪我を負わせたはずだ。しかしそいつは蚊に刺された程度の反応しかしめさず、ハイドリヒを片脚で蹴飛ばした。
 モール司祭は宙を飛び、背中から壁に叩きつけられて気を失った。
 イェーケンが大鎌をふるい、クラウスが短剣を逆手ににぎってネズミ面の化け物を食い止めようとする。フーゴーはひとつ覚えのように魔法の投げ矢をそいつに投じつづけたが、どれも袈裟のような鱗状鎧の一片を焦がす程度で、たいした効果はあげられなかった。
 マルタも手裏剣を投げつづけているが、こちらも鎧に弾かれ、体毛に絡まるばかりで、痛手を与えることはできなかった。
 化け物の大鉈がふり下ろされるたびに石の床面がゆれ、ひびが走った。イェーケンもクラウスもそいつを食い止めることができず、左右によけて道を譲るかたちになった。フーゴーが我に返るとそいつが目の前に立っており、彼をわしづかみにして肩からうしろへと放り投げた。フーゴーは背中から石の床に叩きつけられて、息ができずに悶絶した。
 しばらく気を失っていたのだろうか、フーゴーが気づくと、毛むくじゃらの怪物は床に膝をつき、大切ななにかを拾いあげるような仕草をしていた。
 怪物の手にはマルタが握られていた。目を閉じてぐったりとし、乱れた髪が頬にかかっている。頬の刀傷がまたひらき、赤い血が流れだしていた。
 マルタはときおり眉根を寄せ、苦悶の表情を浮かべた。そのたびに怪物はおっかなびっくり手の力をゆるめ、彼女を傷つけまいとした。怪物は自分の顔の高さまでマルタを持ち上げると、人間そのままの片目に近づけて、栗毛の女をためつすがめつした。
 怪物が象アザラシの鼻先を動かしておかしな声をだした。なにかを喋ろうとしているのだろうか。だがそれは、壊れたコントラバスの音にしか聞こえなかった。
 怪物はマルタに頬ずりをしようとしたのだろうか。その瞬間に彼女の手のなかに短剣があらわれ、怪物のつぶれていない方の目につき立った。
 怪物がのけぞり、床に後頭部を打ちつけてのびた。
 マルタはその手から脱けだすと、穢れを落とすかのように服をはたき、あの鋭い目を怪物の動かない顔にむけた。
「なれなれしくするんじゃないよ、スケベ野郎」
 通路の最奥の扉をひらくと、腐臭の源はそこだとわかった。部屋の中央の床面に星形が丸で囲んで描かれており、その円内に天井から十人ばかりの屍体が吊されているのだ。目に異様な光をたたえた信者たちがその円を取り巻き、両手をあげては膝をつく伏拝をくり返していた。
「お生まれなさる。お生まれなさるぅ」
 信者たちは、牢獄から脱走した囚人と同じ言葉をくり返していた。
 天井から吊された屍体にはいずれも、首を縄でくくられた痕があった。モール司祭ハイドリヒはそれを見て確信した。
「間違いない。市門の外で盗まれた盗賊たちの死体だ」

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