鞭打苦行のThrasher

翻訳者/ライター/最底辺労働者、待兼音二郎のブログであります

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その4】

その4です。おっさん視点で書くのに疲れて、若者の視点に変えてしまいました。もうなんでもアリです(苦笑)。

しかも、男だけではつまらんので女まで出してしまいました。『ウォーハンマーRPG 基本ルールブック』の冒頭小説「人生は、死を越えてなお」に出てくるイムケという屑拾いの女が印象的だったので。

ちなみにその冒頭小説の著者Dan Abnett氏は、ウォーハンマーのコミックの原作も手広く手がけられています。

Warhammer 40,000: Damnation Crusade

Warhammer 40,000: Damnation Crusade

これとかです。自分も1冊買ってみた(上記にあらず)のですが、それは絵が完璧にアメコミテイストでした。しかし、翻訳チームの人に見せてもらった別のコミックはなかなかよい感じの絵でした。



 見習い魔術師フーゴー・ビュルクナーは足取りも重く地下道を歩いていった。
 門歯の歯形がくっきりついた肩の痛みは言うまでもないが、身体のあちこちをわしづかみにした囚人たちの握力がいまでも感じられ、事あるごとにやつらの体温と息づかいと垢じみた体臭が甦ってくる。
 上級魔術師イェーケンは大鎌をかつぎ、険しい顔をいっそうしかめて彼のとなりを無言で歩いていた。モール教団の聖別司祭ハイドリヒは、生者相手の攻撃呪文を持ち合わせないため、フレイルをぬいて最後尾をすすんでいた。
 それにしても、もう少し仲良くすればよいのにと思う。お互いに相手の何が気に入らないのだろうか。いがみ合ってそっぽを向くよりも、協力の手をさしのべ合った方が事もうまくすすむだろうに。
 歳をとると、人間誰しもこうして意固地になるのだろうか。経験を重ね、ひとつの道に熟達すればするほどにこだわりが強くなり、譲れないものが多くなっていくのだという。それはひとつ間違えば、引き返せない道にどんどん深入りしていくことではないかとフーゴーは思った。さんざん歩いてきた道が袋小路だったと気づいたとき、人はいったいどうすればよいのか。
 隊列の先頭で角灯をかかげ、膝の曲がった脚で肩をゆらして歩く貧相な小男クラウスも、彼からすれば不可解な男だった。なにを話しかけても卑屈なあの眇(すがめ)面をむけてきて、へえ、いいえ、とそっけなく答えるだけで、なにを考えているのかさっぱりわからない。どうしてあのように心を閉ざすのだろう。選良として優遇され、高い教育を受けた自分たち魔法使いへのひがみもあるのだろうか。
 それにしても、年端のゆかぬ頃から下水道にもぐり、一介のネズミ捕りとして終える人生とはいったいどんなものなのだろう。クラウスの爪の隙間には泥とも煤ともつかぬ黒い汚れがたまっており、指紋の間にも汚れがこびりついていた。きっとあの汚れはどれだけ洗ってももう落ちないのだろう。腰からじゃらじゃらと商売道具の工具類やら獲物の頭蓋骨やらを吊り下げていて、それだけがあの男の誇りであり生き甲斐でもあるように思われる。クラウスという男の肚(はら)にある人生観は、若いフーゴーの理解を超えていた。
 しかし、先ほどの牢屋では魔法使いばかりのパーティのもろさを如実に感じさせられた。魔法頼りの自分たちは遠隔攻撃には巧みであっても、接近戦での守りにおいてどうしても弱い。敵の攻撃を盾で受けとめ、別の敵を鎧ごと一刀両断にし、組みついてきた敵を力でねじ伏せる戦士の存在が、冒険者パーティにはどうしても欠かせない。洞窟池の対岸に残してきたミドンランド領邦軍の戦士たちがこれまでになく頼もしく感じられ、彼らと合流することが待ち遠しくてならなかった。
 こうして歩きながら考え事をするのがフーゴーの悪い癖だった。突然話しかけられて上の空の言葉を返すことがあり、よく同輩にからかわれた。いま自分たちは敵のアジトへとつづく地下道にいる。くれぐれも気を引き締めてかからねばと心でおのれを叱咤したとき、クラウスの角灯がふつりと消えた。
 たちまち地下道は無明の闇に沈んだ。となりにいる上級魔術師イェーケンの大鎌がほのかな紫色を発しているばかりで、同行者たちの顔も姿もまったく見えない。天井にぶら下がったコウモリたちの眼が水晶玉のように透き通ってみえ、そぞろに不安をかき立てる。
 イェーケンから小声で命じられて、フーゴーは呪文を唱え、手のひらに小さな炎を出現させた。魔法学府で最初に習う初歩的な呪文だ。ろうそく程度の明かりが探索者たちの顔を照らした。フーゴーはクラウスに歩みより、ガラスで囲われた角灯に手をさし入れて、再点灯してやった。
 廊下がぱっと明るくなった。一行はまた歩きはじめた。
 何回目かの角を曲がったとき、先頭のクラウスが突如立ち止まり、足裏で道を探るかのようにすり足をしはじめた。
「どうしたんだ?」最後尾のモール司祭ハイドリヒが声をあげた。
「道がおかしいんです」クラウスの表情がこわばっていた。「たどってきた通路を戻ってきたつもりが、覚えのない道にでるばかりなんで」
 イェーケンとフーゴーがクラウスに並びかけて、T字分岐の左右をきょろきょろと見回した。ハイドリヒもやってきて、四人が一箇所に寄り集まった。
 と、そのとき、床板がぬけた。
 落とし穴は滑降台になっており、四人はもみくしゃになったまま滑り降り、石の床に身体を打ちつけた。
 痛みにもだえる暇もなく、敵が襲いかかってきた。粗雑な棍棒をにぎり、さきほどの囚人のような襤褸をまとった人間たちが、ざんばらの髪を振り乱して三方から迫ってくる。フーゴーは片膝をついた状態で剣をぬき、先頭の男を横薙ぎに斬り倒した。ハイドリヒが彼の後ろからフレイルを振り回して突進し、たちまち二、三人の頭を西瓜のようにたたき割った。敵はいずれも眼窩を黒く塗り、熱病患者のように目を泳がせて、取り憑かれたように棍棒をふりまわしている。クラウスは短剣を逆手に握って敵中に踊りいり、軽快な身のこなしで棍棒をかわし、敵の急所に刃を突きたてた。
 イェーケンは打ち所が悪く、三人に後れをとった。ようやく立ち上がると大鎌を構えてふりまわし、その刃の軌跡を血の円弧で描きだし、敵を一歩も近寄らせなかった。
 一行が落ちたのは広間の片隅で、人の波がそこめがけて押しよせてきた。部屋の四隅のひとつに背中を預けられるのが幸いだったが、多勢に無勢、たちまち四人は分断され、フーゴーはクラウスとともに敵に囲まれた。ハイドリヒとイェーケンもそれぞれ孤軍奮闘しているらしく、剣戟や怒号がどこからか聞こえてくる。
 フーゴーとクラウスは追い詰められ、背中合わせで敵と対峙するかたちになった。
「申し訳ありやせん。あっしの手抜かりのせいで」
「いや、いいんだ。それに、いまはそれどころじゃない」
 フーゴーとクラウスは息を合わせて敵に躍りかかり、刃をふるって数人を斬り倒した。だが、そこまでだった。ふたりがふたりとも敵の輪のなかで孤立し、寄せ来る大波に飲みこまれた。
 数分後、四人は捕縛され、広間中央に運び込まれたの磔刑台の前に引き据えられた。襤褸服にざんばら髪の敵勢が磔刑台を半円状に囲み、黒く塗られた眼窩のなかで目を期待にぎらつかせている。
 群衆がふたつに割れて、ねじくれた杖を握った小柄な女が歩いてきた。髪を幾房にも細く編み込んで小動物の骨を飾りつけ、顔ぜんたいを黒く、唇と目のまわりを白く塗っている。首にも門歯を数珠のように紐にとおした飾りをかけていた。女が磔刑台の前に立って杖を掲げると、群衆がいっせいに歓呼の声をあげ、両手をあげては膝をついて伏し拝む動作をくり返した。誰の手のひらにも、フーゴーが先ほど牢獄で目にした、ゆがんだ星型が描かれていた。
 磔刑台は十字架のかたちをしたもので、ひとりの女が縛りつけられていた。女は目をとじてぐったりと顔をうつむけており、身動きひとつしなかった。ほおにひとすじ刀傷があり、流れでた血が乾きかけていた。すでに死んでいるのかもしれなかった。しかし女はまつげが長く、鼻筋がすらりと通っていて、土気色の唇に紅さえさせば美人なのかもしれなかった。
「万事休すだな」上級魔術師イェーケンがため息とともに言った。
「取り返しのつかぬことになってしまった。詫びても詮ないが、すまぬ……」モールの聖別司祭ハイドリヒがしぼり出すような声で言った。
 ネズミ捕りのクラウスは無言だったが、責任を感じて唇を噛みしめているのが気配でわかった。
 見習い魔術師フーゴー・ビュルクナーは目をしばたたき、天井を見上げた。まもなく自分たちは死ぬ。本当に死ぬんだ。そう胸に叫んでも、少しも実感が湧いてこなかった。オールド・ワールドでは死はあっけなく訪れる。日々、いつ何時でも注意を怠ってはならないのだと祖母から言い聞かされて彼は育った。これまでの人生で、ひとつ間違えば死んでいてもおかしくない経験も何度かしてきた。しかしそのたびに、間一髪で死を免れてきた。たしかに彼のまわりにも、夜道で酔っぱらって寝てしまい馬車に轢かれて死んだ者や、高塔の展望窓から身を乗り出しすぎて落ちて死んだ者もあった。フーゴーも同じようなことをしたことがあるが、絶体絶命と思われた瞬間に、生と死を分ける紙一重の生の側に立つことができた。自分は幸運に恵まれているという根拠のない自信があった。
 だがそれは、本当に根拠のない自信だったのだ。人間、死ぬときは死ぬ。そのときが刻一刻と迫りつつあった。
 ねじくれた杖を握った呪術師とおぼしき女が、調子はずれな声でなにやら詠唱しはじめた。それに群衆が声を合わせて、広間はうねりのような唱和につつまれた。誰もが床に膝をつき、両手を高く上げては伏拝することをくり返していた。いよいよ処刑がはじまるのだ。
 磔刑柱に縛られた女が両眼を大きく見開いた。そして、磔刑柱そのものがくねくねと動きはじめた。よくよくみれば、それは木材を十字に組んだものではなく、異様な肉質をしたものだった。多種多様な肉を縫い合わせてできた?それ?は部分ごとに異なる色合いをしており、あちこちに目や口がもごもごと出現しては、ふたたび肉の奥へと沈みこんでいった。女の両手両足も縄で縛られているのではなく、肉質の磔刑柱からのびた巨大な鉤爪につかまれているのだった。
 肉柱に現れては消える口から、体長一フィートはある大ムカデや、まるまると太ったウジ虫の群れがわらわらと出てきて、女にまとわりつき、手足を這いすすんだ。フーゴーはみているだけで気色が悪くなり、目を固くつぶって頭(かぶり)をふった。
 自分もこれからああして死ぬんだ。どの神に祈ったらいいのだろう。シグマーへの祈りは届きそうにないし、ウルリックも女々しいやつだとそっぽを向くだろう。シャリアの慈悲は……はたしてもたらされようか。ラナルドの幸運も、とうていこの事態は変えられそうにない。だとしたら……そうだ、モールだ。自分はまもなくモールの国へ旅立つ。そこで快く迎え入れてもらえるように、死の神に祈るしかなかった。
 背後で手首を縛られた両手をどうにか握り合わせて祈るフーゴーの耳に、女の苦悶の呻きがとどいた。フーゴーはいっそう目を固くつぶり、モールへの祈りに集中しようとした。だがそうすればそうするほど、磔刑柱の鉤爪につかまれた女の苦しみがまざまざとまぶたの裏に浮かぶばかりだった。ムカデが顔を這いまわり、固く閉じられたまぶたを無理にこじ開けて眼球に口器をうずめる。頬の刀傷に群がっていたウジ虫どもがいっせいに顔を伝ってその傷にむしゃぶりつく。そしてどれだけ時間がたったのか、女はすっかり顔を食い破られ、残った肉の隙間から奥歯や鼻の骨が露出し、眼窩からは豆粒のようにウジ虫がぽろぽろとこぼれ落ちていた。
 そこにカラスの鳴き声が重なった。モールの使者の大鴉が甲高く鳴きながらどこからか飛来したのだ。そしてフーゴーは、まぶたごしにまばゆい光を浴びた。
「よし、今だ」
 イェーケンの声が聞こえたかと思うと、身体を縛っていた縄が風化してぼろぼろと崩れた。フーゴーは半信半疑で腰にまわされていた両手を顔の前にもってきて、たしかに縄が解かれていることを確認した。磔刑台を半円形に取り巻いた群衆はみな床に突っ伏して寝息を立てていた。ねじれた杖を握った女呪術師も口を大きくあけていびきをかいている。フーゴーにつづけてイェーケンとクラウスがよろよろと立ち上がった。ハイドリヒだけは疲労困憊の体で腰をおろしたまま荒い息をしている。
「モール司祭もなかなかやるものだ」イェーケンの言葉にはめずらしく皮肉がこめられていなかった。
「とっておきの魔術を用いた。モールの魔法体系でもかなりの難度に属する術だ。手足を縛られた状態でかけたのは初めてだ。成功か死か、ふたつにひとつと思いつめたからこそうまく行ったのだろう。モールさまへの祈りが通じたのだ。しかし、脳みそが煮えるかと思った。いまでも頭が割れるようだ」
 怪訝な顔をしたフーゴーに、イェーケンが声をかけた。
「敵をいっせいに眠らせる魔法をかけたのだ。さあ、今のうちに逃げ出すぞ」
 背後でどさりと音がした。何事かとふり向くと、磔刑柱に縛られていた女が床にうずくまっていた。
 フーゴーは駆けより、女の背中をさすった。
「大丈夫ですか? お気を確かに」
 女が呻きつつふり返る。あちこちを食い破られたその顔が、フーゴーの脳裏にふたたび浮かんだ。
 だが、女の顔は損なわれてはいなかった。なめらかな肌を横切る刀傷ばかりが生々しかった。
「ありがとう。でも、あたしのことより自分の心配をした方がいいよ」
 鋭いまなざしがフーゴーをたじろがせた。女の革鎧はずたずたに裂け、あちこちに汚れが染みついて、ネズミ捕りクラウスにも劣らぬ臭いをたてている。だが、その内側にいる女は若く、熱い血潮をたぎらせており、そばにいるだけで肌がほてる心地がした。

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