鞭打苦行のThrasher

翻訳者/ライター/最底辺労働者、待兼音二郎のブログであります

Catcher in the Sewer(下水道探索者たち)【その3】

その3です。ここは完璧な中継ぎなので、前置きなしで本文にいきます。



 舳先の角灯が投じる明かりに、洞窟の壁面がぼんやり浮かんだ。ようやく地下の池を渡りきったのだ。
 ネズミ捕りのクラウスが棹を操って小舟を岸に着けた。クラウスがまず船着き場に降り、石段を登ってあたりを見回し、安全を確認した。
「さて、どうしたものか」
 珍しくイェーケンの方から話しかけてきた。
「ひとりに小舟を漕ぎもどらせて、後続をピストン輸送するしかあるまい」
 上級魔術師イェーケンはうなずき、財布から真鍮ペニーを一枚取りだした。
「コイン投げで決めるのだな。ではわたしは表にかけよう。裏が出たらうちの若い者をもどらせる」
 魔術師は親指で硬貨を弾き、手の甲で受けとめ、そこにもう一方の手をかぶせた。
 かぶせた手をのけると、硬貨は裏を示していた。
「貴様、もしや……」
 イェーケンは先回りして硬貨をつまみ、裏表の両面がきちんと揃っていることを見せつけた。
 ハイドリヒはやむなく部下にもどるように命じた。司祭になったばかりの若者はうなずき、角灯の火で松明に点火をすると、二本のオールを握って黒い水面へとまた漕ぎだした。
 かくして洞窟池の対岸にはモールの聖別司祭ハイドリヒ、紫水晶の上級魔術師イェーケンとその部下の見習い魔術師フーゴー、そして案内役のネズミ捕りクラウスの四人が残された。
 後続の到着をただ漫然と待つばかりでは芸がないので、ひとまず行けるところまで偵察することにした。あわよくば、小舟がもう一艘廊下に吊されてでもいないかという期待もあった。
 クラウスが角灯をかかげて先頭をすすみ、イェーケンと見習い魔術師がその後ろで横にならび、ハイドリヒは?骨のお守り?を握りしめて最後尾についた。このお守りがあれば、奇っ怪なアンデッドにいきなり出くわしても恐怖に硬直せずに反撃できる。呪文は効果時間が限られるし、戦闘がはじまってから唱えては手遅れになることもある。だからお守りが重宝するのだ。
「しかし、鼠の多い地下道だな」イェーケンが言った。
「厨房から出るゴミがよほど多いんですかね」とクラウス。
 かさこそと走り回る鼠の足音がたえず通路の先から聞こえてくるし、角灯の明かりを浴びて血迷った鼠が逃げる方向を誤って、こちらの足元をかすめて後方に走り去ることもある。天井からは粘り気をおびた水が滴ってくるし、通路の隅で腐臭を放つドブネズミの死骸が動いたかと思うと、群がっていた屍肉漁りの甲虫が四方八方に走りだしたこともあった。下水道に比べればましかもしれぬが、不潔きわまる地下道だった。
 角灯を床に置き、輪になって腰をおろしたときのこと、通路の奥の壁に巨大な鼠の影が映っているのが目にとまり、ハイドリヒは息を呑んだ。彼のただならぬ表情に気づいたクラウスが肩越しにふり返った時、鼠の影はどこかに消えた。なんのことはない、角灯の明かりで影が引き延ばされていただけだった。
 これ以上進んでも舟のたぐいは見つかりそうになく、洞窟へ引き返しかけたとき、通路の先から唸り声のようなものが聞こえてきた。
 足音を忍ばせて近づくと、鉄格子のはまった牢があった。薄暗く、ほこり臭い部屋の奥で三人の囚人が、簡易寝台の藁布団に力なく掛けていた。いずれも髪が伸び放題で、年齢も性別もにわかには判別しがたかった。
 三人の囚人が簡易寝台から立ち上がり、天を仰いでは床に額をこすりつけることをやり始めた。アラビィ人のような伏拝を何度もくり返しながら、低くうなりつづけている。三人の目はうつろで、鉄格子の前に立った探索者たちがみえていないようだった。
 ハイドリヒとイェーケンが目を見合わせた。イェーケンがうなずき、まず帝国共通語(ライクシュピール)で、次いでティリア語とエスタリア語で話しかけた。しかし囚人たちには、そもそも声が聞こえていないようだった。
 ハイドリヒも骨のお守りを握りしめたままブレトニア語で話しかけてみた。結果は同じことだった。
 やがてイェーケンの部下の見習い魔術師フーゴーが、鉄格子に組みつけられた扉の錠前に目をとめた。なんのことはない、外側からはつまみを回すだけでひらく仕組みになっていたのだ。
 ちょうつがいを軋ませて扉がひらく。見習い魔術師が身をかがめて開口部をくぐり、三人に近づいていく。それでも気がつく様子がないので、いちばん近くにいる男の肩を叩いてみた。
 すると三人がいきなり目を剥き、見習い魔術師につかみかかった。若者は押し倒され、もみくちゃにされた。
フーゴー! 大丈夫か」イェーケンが若者の名を呼んで牢の戸をくぐった。クラウスとハイドリヒがその後につづく。三人がかりで手前の囚人を引き剥がそうとしたが、驚くほど力が強くてびくともしない。囚人は三人が三人とも、蹴ろうと殴ろうとなんの反応もしめさなかった。
 クラウスが短剣を囚人の肩に突きたてた。引き抜くと、どす黒い血が吹き上がったが、それでも相手はなんの反応もしめさない。イェーケンの大鎌は牢内でふりまわすには大きすぎ、廊下に置いたままだった。
「ゾンビではないのだな」とっとに判断がつかず、ハイドリヒは問うた。彼の攻撃呪文は死者専用であり、生者に対しては効果がないのだ。
「血が温かい。死んではおるまい」イェーケンはそう答え、両手をふり動かしてみじかく呪文を唱えた。すると手の中に光り輝く投げ矢があらわれ、肩から血を流した囚人の背中に魔術師はそれを投げつけた。
 囚人が身をのけぞらせて倒れた。
 のこりふたりの囚人はようやく我に返ったのか、床でのびている見習い魔術師を放置して立ち上がり、一行をふり向いた。と、思いきや、また四つん這いになり、犬のようなすばしこさでハイドリヒたちの足もとをすり抜け、扉を抜けて駆け去った。
「お生まれなさる。お生まれなさるぅ」
 呻くような言葉が廊下に反響して遠ざかっていくのが確かに聞こえた。
 クラウスが慌てて開口部をくぐり、廊下の行き止まりから左右を覗いたが、ふたりの姿はとうに消えており、どちらに逃げたものとも判断がつきかねた。
 見習い魔術師フーゴー・ビュルクナーは肩の肉を噛みちぎられかけ、長衣にべっとりと血がしみていた。だが幸いに傷は動脈からそれており、命に別状はなかった。応急処置を施すと、青ざめていた青年の顔に血色がもどった。
 囚人はすでに息絶えており、尋問することはできなかった。
「たしかに見えました。あの者どもの手のひらには、ゆがんだ星型の入れ墨がありました」
 見習い魔術師フーゴー・ビュルクナーが恐怖に顔をゆがませた。
「あいつらは何者なのだ?」とイェーケン。「なにかに取り憑かれているように思えたが。誰がなんの目的で投獄したのだろう」
「お生まれなさる、と口走りつつ逃げていったな」ハイドリヒが言った。「あれはいったいなんなのだろう」
 魔術師と司祭はネズミ捕りに目をむけた。
「さあ、なんですかね」クラウスが答えた。「あっしにもさっぱりわかりやせん。なにかの教団でしょうか」
「死霊術師の一味とは別なのだろうか」ハイドリヒは胸によぎった不安を口にした。
「まさか、ガセネタだったということはあるまいね」イェーケンがじろりと司祭に目をむけた。「紫水晶の学府がとんだ無駄足を踏まされたということになれば、モール教団にはどんな噂がたつことだろうね」
 ハイドリヒはイェーケンにつかみかかった。フーゴーとクラウスがふたりがかりでようやく司祭を引き剥がした。
「よしてくだせえよ。まるっきりさっきの囚人とおんなじやり口じゃねえですか」
 乾いた笑いが牢獄であがった。全員が自嘲とも皮肉ともつかぬ笑い声をたてていた。
 とにかく、四人だけでこれ以上進むのは危険だった。一行は洞窟まで引き返すことにした。

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